春朧

春雷 3



 暴行の輪に春日野が割って入って間もなくだった。
 突如、雷鳴と共に倉庫の屋根を突き破らんばかりの轟音が耳をつんざいた。空には厚い雲が覆い、トタン壁を叩きつけるバタバタとした音で、外を見ずとも荒天が激しさを増しているのが分かる。おそらくは近場に落雷でもあったのだろう、高窓から微かに見え隠れしていた電柱の灯りが、今しがたの轟音と共に一気に消え落ちたのも確認できた。
 倉庫の中には白井らの仲間が手にしだした懐中電灯とバイクのヘッドライトが照らし出す灯りが、より一層の不穏さを放ってもいた。
「もういいだろ? そいつだって十分堪えたはずだ」
 これ以上やれば、お互いに不利益な方向になり兼ねない。制裁とは名ばかりの行き過ぎた暴行で、万が一の事態を引き起こすことだって有り得ない話ではないのだ。
 白井にしてみても、春日野の言わんとしていることは理解できたわけか、気まずそうなその表情からは、彼が多少の躊躇をしているのだろうことが窺い知れる。だがやはりここであっさり引くのもためらわれるのだろう。皆の手前もあるし、春日野とは違って、そうそう紳士的に度量を見せる根性も備わってはいない。そんな男に限って、それを悟られるのもプライドが許さない。全くもって上手くいかない話だ。
 だが、下手をすれば犯罪の域に繋がりかねないということだけは頭の片隅でくすぶるのだろう。暴行が過ぎて、もしも死に至るような事態になったとしても、ここにいる兄貴分のヤクザ連中が、果たして自分たちを庇ってくれるかといえばおそらく『ノー』だ。それらをすべて踏まえてか、ふてぶてしく白井は笑って見せた。
「相変わらずだなぁ、春日野よぉ。てめえの正義感面には反吐が出るぜ」
 吐き捨てるようにそう言うと、一旦暴行の手を止めて、春日野の前へと歩み寄った。
「いいぜ。そんなに言うならコイツをボコんのはやめてやってもいい。けど、そん代わりてめえにその分引き受けてもらおうじゃねえか?」
 何の抵抗も出来ずに地べたに転がっている男などに用はない、それよりは生意気な春日野を痛めつける方が面白いじゃねえかとばかりに兄貴分の方をを見やった。如何に春日野が強かろうが、この人数を相手に勝ち目などあるわけもなかろうと自信もたっぷりなわけだ。そんな経緯を鼻で笑うように、ヤクザの男たちが口を挟んだ。
「いいだろう。今時珍しく根性のある野郎みてえだしな。白井、おめえの好きにしろや」
「さすが兄貴。そういうことなら話が早いですよ。遠慮なくこの正義漢に思い知らせてやりますよ」
 白井の周囲にいた不良連中も興味は津々、その気も満々のようで、一瞬にして場の空気が好奇に歪む。狂暴と殺気が入りまじったような不気味さが漂い、しばしの静寂となって辺りを包み込んだ。
 それとは裏腹に耳をつんざくのは刻一刻と近付いてくる雷鳴の轟音だけだ。それまでは黙って成り行きを見守っていた遼平と紫苑の二人だったが、どうにも理不尽な雲行きに黙って見過ごせるはずも無かろうと加勢に身構えたその時だった。
 突如、倉庫の分厚いシャッターの叩かれる音で、その場にいた全員がそちらを振り返った。ガシャガシャとやかましい程に響くその音は、どう聞いても雷鳴とは違う。耳を澄ましてよくよく聞けば、叩きつける雨音を縫って誰かがしきりに叫んでいるような気配が感じ取れた。
 まさか警察に通報でもされたのだろうかと、誰もが一瞬強張った表情で硬直する。その場にいたヤクザたちの中でも下っ端の方らしい男が様子を窺うようにシャッターの方へと駆け寄った。
「兄貴、どうやらサツじゃねえみてえですぜ。なよっちい野郎が一人で騒いでるみてえなんで……」
「ああ? サツじゃねえならこんな所に何の用だってんだ!」
「もしかしたらこいつらのセンコーとかじゃないんスか? 誰かが学園に通報しやがったとか」
 ここへ来る道すがらに節介な通行人にでも見つかったというわけか。だがそれならば学園などより先ずは警察へ通報されるはずだろう。奇怪な成り行きに、もしかしてこの場にいる学生の誰かが密かにメールででも助けを求めたのだろうかという疑惑が浮かび上がる。ヤクザの男たちはしゃらくせえとばかりに桃稜の連中らにガンをくれると、舌打ちまじりでシャッターを開けて、外にいる人物を乱暴に引き入れた。
「うわっ! ちょっと、乱暴はよしてくれ……!」
「そりゃこっちの台詞だな。けたたましく騒ぎやがって! てめえ一人か!? 何モンだ、てめえは!」
 どうやら扉を叩いていたのはその男一人のようだ。雨風が激しい通り沿いには、彼以外に人っ子一人見当たらない。薄明かりの中で見てもヤワそうなのが窺えるその男を見るなりホッとしたのか、ヤクザたちは再び頑丈に錠を掛けると、予想外の招かれざる客を引き摺りながら倉庫中央の皆の元へと戻ってきた。



◇    ◇    ◇



「ちょっ、あんたまさかッ……!?」
 引き摺られてきた男を見るなり、遼平と紫苑が驚いたような声を上げた。それもそのはず、その男というのは一昨日世話になったばかりの倫周だったからだ。
「あんた、何でこんなトコまで……」
 驚く二人を他所に、倫周は掴まれていた腕を振り払わんばかりの勢いで安堵の表情を浮かべて見せた。
「君たち! よかった、無事だったんだね」
 外の豪雨でずぶ濡れになった姿を構いもしないで喜びをあらわにする倫周に、二人は勿論、その場にいた誰もが彼を見やる。ヤクザの男たちも然りだ。
「何だー、てめえは? このガキ共の知り合いか? ノコノコ何しに来やがった!」
「ぼ……僕はこの子たちの保護者ですよ……っ。あなたたちこそ、こんな所に高校生を連れ込んで何をなさってるんですか!」
 ふと目をやれば、ガラの悪そうな若者たちの足元に無残な姿で転がされている一人の学生を見つけて、倫周は思わずそう叫んだ。説明を聞かずともここで何がなされていたのかは一目瞭然だ。とりあえずは遼平と紫苑の二人に怪我が無さそうなことだけには安堵がよぎったものの、不穏で不味そうな空気に、声が震えて言葉に詰まる。
 見るからに気真面目そうな上に優男という雰囲気丸出しの倫周を前に、ヤクザ者たちは面白そうに笑みを浮かべた。
「保護者だってよ。こいつぁご大層なこった。わざわざこんな所まで乗り込んでくるなんざ、やっぱあんた、このガキらのセンコーか?」
 今時、責任感の強い教師もあったものだと、皆が一斉にせせら笑う。こんなナヨっちい男の一人や二人、相手にするまでもないとばかりにヒョイと首根っこを掴み上げ、倉庫の端っこにでも突き飛ばしておこうと手を掛けんとしたその時だった。
「この人に手ェ出すんじゃねえっ!」
 ヤクザの男の手を振り払い、倫周を庇うように割って入ったのは、遼平と紫苑の二人だった。
「ほう、センコーがセンコーならガキもガキってか? 庇い合いなんて洒落たことすんじゃねえか」
 言うが早いか、より一層傍にいた遼平のムコウズネを目掛けて思い切り蹴りをくれてよこした。
「ぐわッ――!」
「何しやがるてめえッ!」
 一瞬、ガクッとその場に崩れ込んだ遼平を庇うように紫苑が男の胸倉に掴み掛り、既に乱闘騒ぎに突入状態だ。
「おい、てめえら! よさねえか!」
 当然の如く、それを見ていた春日野が今度は紫苑らに加勢せんと割って入る。
「ナメやがって、ガキ共がっ! 構うこたぁねえ! 全員畳んじまえっ!」
 ヤクザの指令で白井たちも含めた全員が一斉に殴り掛かり、なるたけ暴力沙汰は避けようとしていた春日野も、もはやそんなことを言っていられる状況ではなくなった。それまでは逃げ腰で怯えているだけだった桃稜の不良連中も然りだ。こうなっては怖いだの何だのと言っていられる状態ではない。攻撃は最大の防御というのは本能なのだ。
「ちょっと、よしなさいっ! よさないか君たちっ!」
 ワタワタと叫んでいるのは倫周のみで、その彼を相変わらず庇うように遼平と紫苑の二人が次々と飛んでくる拳や足蹴りを振り払う。傍らでは春日野がその長身を生かした身のこなしで、周囲にたかってくる連中をまとめて薙ぎ払いながら奮闘していた。
「春日野よー、さすがに強えな。お前と今までタイマンとかやんねえで正解だったわ」
「はぁっ!? 何暢気なこと抜かしてやがる……! それよかてめえらはその人のことだけしっかり守っとけ。こっちは俺が片付けっから」
「すっげ、頼もしいなぁ」
 倫周を真ん中に抱え込むようにして三人が互いに背中合わせに円陣を作り、そんな台詞を掛け合いながら攻撃をかわす。まさに乾坤一擲の中で育まれる強い絆をヒシヒシと感じながら、彼らの横顔に誇らしげな笑みが浮かんでいるのを倫周は不思議な感覚で見つめていた。

――あの煉瓦色の倉庫でさ、こいつとやり合ったことがあるんだ

 遠い春の日に、河川敷に佇み、降り注ぐやわらかな日差しの中で瞳を細めてそう言ったのは鐘崎遼二だった。懐かしげに倉庫街を見つめる彼の後方には、同じく誇らしげに微笑み合う仲間たちが居た。義兄である帝斗と、遼二の最愛の相手だった紫月、その仲間の剛に京、そして氷川白夜、そんな彼らと共に春風に吹かれていたあの頃が何よりの至福だった。あのまま時が止まってしまったならどんなに良かったか、そう思える程に満ち足りていた春の日。
 そんな光景が脳裏をよぎり、思わずこみ上げる惜春の思いが胸を締め付ける。そして今現在、自分を庇うようにして互いに背を預けて戦う彼らを目の当たりにしながら、過ぎし日の面影がリンクするように思えて、倫周は何とも言い難い高揚した気持ちを抱き締めていた。



◇    ◇    ◇



 一方、乱闘状態の中にあって、春日野は、とある思いに焦燥していた。
 頃は二月半ば、もうあとひと月を待たずして卒業を目前に控えたこの時期――
 不可抗力の成り行きとはいえ、こんな所で皆の未来を潰してしまうわけにはいかない。同じ学園の仲間内である桃稜生はもとより、それこそ何の関係もない隣校の遼平と紫苑、そして彼らの保護者だという倫周というこの男。自らの危険を顧みず、わざわざこんな場所に飛び込んで来る、人の好さや優しさを絵に描いたようなこの人に危害を及ぼすわけにはいかない。だが、目の前の乱闘騒ぎを鎮めようにも手立てなど思い付く暇もない。素手で殴り掛かってくる程度ならまだしも、白井らの手には鉄パイプなどの凶器が握られており、勢いをつけて振り回されるそれを避けるだけでも息切れを余儀なくされる。まかり間違って当たり所が悪ければ、最悪の事態にだってなり得るのだ。
 一瞬たりとも気が抜けなかった。
 そんな春日野の焦燥をよそに、今度はバイクのエンジン音が耳をつんざく。割合広い倉庫故、加速したバイクで走り回られては歩が悪過ぎる。仲間を守るどころか、自分の身すら儘ならない。冷静な春日野でも、己の非力さに唇を噛み締める思いだった。
 ふと、ある思いが脳裏に浮かぶ。
 かつて、遠い昔に自分と同じ桃稜学園にいたという伝説の男。今のこの状況と同じか、もっと歩が悪いような危機を前にして、たった一人でそれらを退け打ち勝ったという伝説の白虎――
 二十年前、彼は本当にそんな偉業を成し遂げたというわけか。
「なぁ、織田、如月――」
「ああ!?」
「こんな時……伝説の白虎だったら、やっぱり簡単にこいつらを片付けちまうのかな」
「はあ!? おま、余裕ブッこいたこと抜かしてる場合じゃねえ……って、おわッ!」
 飛んできた拳を避け、蹴りで薙ぎ払いながら相槌ちを返したのは紫苑だ。
「大丈夫かッ!?」
「わっ……っと、ダイジョブじゃねえよ! 余計なこと……くっちゃっべってるヒマがあったら……とりあえず倫周さんをどっか安全な場所に……」
 確かにそうだ。今は余計なことを考えている場合ではない。
「クソッ、この人は……倫周さんは何が何でも……俺らが守るって! じゃなきゃ、氷川の……オッサンにー……」
 自らを奮い立たせんとする紫苑の言葉に、
「ああ、申し訳が立たねえしッ……ってなっ!」
 体当たりで突進して来た敵の脇腹に重い蹴りを一撃くれてやりながら、遼平も信念を貫くような眼差しでそう返した。
 と、その時だ。
 またひとたび、間近に落雷があったかのような轟音と共に入口のシャッターが開かれたのが見えた。開かれたというよりは、ぶち壊された、と言った方が正しいだろうか――
 と同時に外の強風が一気に倉庫内へと舞い込み、台風並みの暴風が吹き荒れたのに、誰もが一瞬動きをとめた。手で顔を覆うようにしながら視界を確保し、
「今度は何だっ!」
 それまで若い不良連中の暴走を面白おかしく眺めていたヤクザの男たちが振り返る。さすがに警察がやって来たのかと思ったのは束の間、そこにはたった一人の男が佇んでいるのみだった。
「誰だ、てめえは!」
 先程の倫周と違って、今度はもっと上背もあり、おそらくはこの場にいる誰よりも骨太そうなガッシリとした男だ。遠目から見ても上質そうだと思える墨色のスーツをまとい、その襟元には外の荒天を思わせるような乱れも一切なく、一目で洒落た感じだと分かるネクタイが淡い青紫色の光沢を放っている。一瞬の落雷に照らし出される男の顔は不機嫌を絵に描いたような無表情で、感情が読み取れず、否が応でも視線を釘付けにさせられる。
 大股で、だがしかし焦っているというのではなく、ゆっくりと静かに歩み寄って来る様は、逆に不気味でもある。
 一歩、また一歩と男が近付いて来るにつれ、その場にいた者全員に緊張が走るような空気がジワジワと広がっていく――
 まさに取っ組み合い中の敵も味方もなく、しばし乱闘も忘れる程に場が静まり返り、それはまるでこの男がこの場に現れたというその存在感だけで鎮圧してしまったかのようだ。
「だ……誰だ、てめえは……」
「な、何とか言いやがれ……」
 ヤクザの男たちのその問い掛けに未だ一言も返さぬままで、突然の訪問者はゆるりゆるりと乱闘の中央へと歩み来る。
 バックに緩く梳かし付けられた髪は、印象に残る程の独特の黒だ。不機嫌に歪められた顔つきは整った美男子だが、目つきは鋭く威光を放っている。出で立ちだけを見れば、まるで高級ブランド店のポスターから抜け出て来たようではあるが、かもし出す雰囲気は心臓が縮み上がるような威圧感を伴っている。この男が一体誰なのか、何の目的があってこんな所までやって来たのか、海のものとも山のものとも見当さえ付けられないまま、白井ら不良連中は無論のこと、ヤクザの男たちまでもが蒼白となっていった。



Guys 9love

INDEX    NEXT