春朧

二十年目の奇跡 2



「ああ、ほんのちょっとだけな? こいつの、遼平の身体を借りた」
「……ッ!? 借りた……って、お前っ……じゃあ本当にカネなのか? だったらやっぱりお前らは……生まれ変わり……なのか?」
「まあ、そうなのかな」
 少し悪戯そうに彼はそう言って、笑った。
「どうしてもお前に礼が言いたくてよ。二十年前、俺が死んじまってからずっと紫月のことを見守ってくれたろ? すげえ安心できたし、何より嬉しかった。だからどうしても、もう一度お前に会って話がしたかった。ちゃんと礼が言いたかったんだ。マジで……ありがとな氷川」
「……いや、そんなことは全く……構わんが……」
 氷川にしては珍しく、返答らしい言葉が返せないままで、未だに軽い硬直状態だ。そんな様子に、
「さすがのお前でもすぐには信じらんねえって顔してんな?」
「……え、あ、ああ……そうか?」
「そうだよ。幽霊でも見ちまったようなツラだぜ?」
 そう言って笑った。
「いや、幽霊だとは思ってねえが……。ただ、俺はもしかして眠っちまって、夢でも見てんのかと思うだけだ」
「ま、そうだよな」
 遼平は――というよりも、この場は『遼二』は、といった方が正しいか、彼は再び可笑しそうに笑って見せた。そして、これが夢ではなく現実なんだぜとでも言いたげに、繋がれていた手をギュッと握り返す。
「どうしてもお前に会いたくてさ。会って礼を言いたかったってのも本当だが……あのまま、お前らとあれっきりになっちまったことがすげえ心残りで堪んなかったから」
 それは誰しも同じだ。帝斗や倫周、それに仲間内だった剛に京、その誰にとっても全く同じ思いなのは変わらない。もう一度会いたい、もう一度時がさかのぼるならば――と、何度願ったことだろう。来る日も来る日も涙にくれ、胸を押しつぶされそうな悲しみと苦しさを噛み締め、例え夢の中ででもいいからもう一度会って話がしたい、傍に居たい、そう懇願してやまない思いは皆一緒だったはずだ。
 だからこそすぐには信じられないのも当然だろう。今、この現実が受け止められずに、夢でも見ているのだと思うのも仕方がないことだ。
「な、俺ってよくよく我が強えってか……強運なのか、未練がハンパねえのか分からんが……」
「……それで、生まれ変わって来たってわけか?」
「ん、かも知れねえ。未だにビビるぜ、こんなこと、マジで現実に起こるもんなんだなってさ」
 おどけ気味にそう言っては、また笑う。
「なあ氷川よー……さっきはあんなこと言ったけどよ、ホントは俺、お前にだったらあいつを……」
 そう言い掛けて言葉をとめ、そしてとびきり穏やかで幸せに満ちた眼差しを細めながら先を続けた。
「お前にだったら紫月を預けられる、預けてもいいって、そう思ってたんだ」
「――!?」
「俺が死んじまった後、もしもあいつが……紫月があのまま、あんなふうに事故に遭ったりしねえで今も生きてたらって、たまにそう考えることあってさ。もしもあのままあいつがお前らと一緒に人生を歩めてたなら、ヤツにとってまた違った幸せがあったのかなって」
「カネ……?」
「けど俺の気持ちが強過ぎて……ってのかな、結局は紫月を俺の元に呼び寄せるような形になっちまって……それってあいつにとってホントに幸せだったのかって、今でも時々……迷うこともあってな」
 ひと言、ひと言、切なそうに、あるいは苦笑するようにそう言う彼を見ている内に、自然と時がさかのぼる。つい先刻までは、今のこの現実に半信半疑だった気持ちも次第に落ち着きを取り戻し、目の前の彼を『鐘崎遼二』として受け止める余裕が生まれ始めていた。
 二十年の時をさかのぼり、何の違和感もなく学生時代の仲間同士に戻ったように目の前の男を見つめ、互いにごく普通の悩み事や相談事を聞き合うように会話が進む。
「一之宮が事故で亡くなったのは偶然、というよりも運命だろうが。別にお前のせいってわけじゃねえだろう? それともナニか? 死んじまって天国に逝くと、そんなことも意に叶うようになるってか?」
 つまりは、『最愛の一之宮紫月を一人にして、この世に残しておきたくなかったから、自分の意志で天国に呼び寄せた』などという、まさに神様の所業のようなことがお前に出来得たわけもなかろうと、そんな意味合いを込めてそう言ったのだ。
「や、まあ……そりゃそうなんだけどよ。天国に行ったからって神になるわけじゃねえからさ。てめえの意志でどうこう出来るってこたぁ、ねえんだけどもー」
「だろ? だったら別にお前の我が侭ってわけでもねえし、お前のせいで一之宮が事故に遭ったわけでもねえさ」
 氷川はそう言って微笑み、「それによ――」
 こう続けた。
「もしも一之宮があのまま俺たちと共に生きてたとしても、あいつは別の幸せなんてものは望まなかったろうぜ」
「――え?」


 早朝の冷気に曇った窓が光り出し、じわじわと明るさを増していく。数秒待たずして、まぶしい程の光の反射が映り込んだ。白々とし始めていた雲間を縫って、太陽の光が顔を出したのだ。
 早春の太陽が昇るのは早い。つい先刻までの凍る月夜とは対局に、まさに息吹きのようで躍動を感じる。
 その光が次第に氷川の背と、ベッドに横たわっている遼平――遼二――の顔を照らし出す。


「ああ、もう陽が昇って来たな。眩しいか?」
 ベッドの上で細められた瞳に、氷川はそう言って立ち上がり、光をやわらげるように半分ばかりカーテンを引いた。そしてまたベッド脇へと戻り腰掛けながら、
「あいつは今も昔もお前しか見てねえよ」
 少し悪戯そうにそう言って、微笑んでみせた。
「……氷川?」
「例えあいつがあのまま俺らと一緒に人生を歩んでたとしても、あいつはお前以外の誰かと連れ添って生きようなんて思わなかったろうぜ? 仮にし、お前があいつを俺に預けるから一緒に生きて行けって、そう言ったとしても……だ」
「は、はは……そうか?」
「ああ、そうだよ」
「そっか……。やっぱ、何つーか、お前には適わねえな。今も昔もお前には世話になり通しってか……励まされてばっかりだな。ホント、お前ってデケえ男だよ」
「いきなり何だ、褒めてくれんのか?」
「ああ、心底そう思うぜ。何つったらいいのか、心酔っての? 全てがカッコ良過ぎで適わねえって思う。同じ男としてめちゃくちゃ憧れるわ」
「おいおい、そんなに持ち上げたところで何も出ねえぜ?」
 氷川は参ったなと言うように笑い、そしてこう続けた。
「それを言うなら俺だって同じだな。前にお前とやり合った時のこと覚えてるだろ? 埠頭の、煉瓦色の倉庫でよ」
「あ? ああ、もち覚えてっけど」
「俺はあの時、命懸けで一之宮を守ろうとしたお前を見て感動したんだ。俺の中ですげえ強え印象としてずっと残った。お前が事故で亡くなったって聞いた時も……ああ、本当にこいつは……最後の最後まで一之宮を守り抜いて生きたんだって思ってよ。だからかな、お前亡き後も出来る限り一之宮を見守ってやりてえって思ったんだ。お前が命を懸けて愛したヤツだから、俺も誠心誠意接してえって、ずっと見守り続けていきてえって……そう思った」
「氷川……お前」
「ま、お前の代わりってのは到底無理だって、それは分かってたからよ。とにかく俺の出来る限り、精一杯とは思ってたな。さっきのお前の言葉をそのまんま返すわけじゃねえが俺は……何だろう、俺はお前ら二人に心酔してんだな、きっと」
 そういえば二十年前の春の日に、あの河川敷で拳と拳を交わした時にも、この氷川からそんなようなことを言われた記憶が蘇る。

――てめえの命掛けてまで、守りてえもんを持ってるお前はすげえカッコよかったぜ?
 そんな大切なモンを持ってるお前も……
 それから、お前にそんなふうに想われてる一之宮も。
 お前ら二人すげえ似合いで……絵になってた――



◇    ◇    ◇



 朝の光の如く、穏やかで幸せな空気が二人を満たすように包んでいく。懐かしくもあり、嬉しくもあって、言葉では表しようのないような心持ちだった。あえて言うならば心が震えるような至福が二人を包んでいた。
 今しばし互いを見つめ合い、瞳を細め合い、二十年の時を取り戻すかのように微笑み合う。
「な、氷川さ」
「ん?」
「こんなこと、ホントは言っちゃいけねえんだけど……お前だから話とく」
「何だよ? 妙に意味深じゃねえか」
「ん――お前、近い将来、すげえ大事だって思えるヤツに巡り合うよ」
「――?」
 一瞬、何を言われているのか分からないといった表情で、氷川は首を傾げた。
「俺や紫月や……粟津に倫周、その他の誰よりも……ううん、俺らダチ連中なんか比にならねえってくらい大事なヤツと出会う。お前がいっちゃん愛する相手っての? そう、そんなに遠くねえ未来にだ」
 ここまで聞いて、ようやくとその言わんとしていることが理解できたが、やはりおいそれとは信じられない内容だ。遼二の言葉を信じないというわけでは決してないのだが、半信半疑なのは正直なところだ。そんな様子に遼二はクスッと微笑うと、
「いつかお前がじいさんになって天国でまた再会した時はよ、お前の大事なヤツを俺らにも紹介してくれよな?」
 繋がれたままの掌に力を込めて、握り締めるようにそう言った。氷川はまだしばし不可思議な表情のままで、
「なあ、おい……天国にいるとそんなことまで分かっちまうのか?」
 ガラに似合わずキョトンとした表情でそんなふうに訊いた。遼二はまたひとたび笑い、
「まあな、空の上からだと地上じゃ見えねえことが見えるんだ……なーんつっても信じらんねえよなぁ? つかさ、ホントはこの世の奴にこんなこと教えちゃいけねえんだけど」
 少し難しそうな表情で眉をひそめては、「多分、後で天国のじいさん連中に怒られるな」と付け足した。
 『天国のじいさん連中』というのは神様のことでも指すのだろうか、或いは仙人とか長老とか、そんな存在がいるのだろうか。現実的に考えるならば先祖を指すのかもしれない。そんなことを想像しながら氷川も遼二同様、眉根をひそめ気味で未だ首を傾げ、ふと目が合えば互いに似た様な表情をしているのが可笑しくて、どちらからともなくプッとふき出してしまった。
「ぶっ……はははははは! 何て顔してんだ、お前!」
「バッカやろ! そういうてめえだって似た様なもんだろうが!」
「はは、そうだな。ま、いいさ。お前がそう言うんなら楽しみに待っとくぜ! 俺にとっての”大事な相手”ってのに巡り合えるその日を……な?」
「ああ。ああ、ぜってー巡り合う! 嘘じゃねえから期待して待っとけ! つか……ホントはもう巡り合ってんだけどな?」
 最後の方はこっそりと呟くように放たれたその言葉に、氷川は再度眉根をひそめた。
「巡り合ってるって……俺は今現在、そんな相手に心当たりはねえけどな」
 近い将来、最愛の相手に巡り合うなどと言われると、氷川にしてみても多少興味を惹かれるのか、珍しくも話題に食い付いている。しかも『既に巡り合っている』などと言われれば、尚更興味をそそられるのは当然だろう。だが、思い当る節がないのも確かで、少々期待に胸を膨らませるような表情をしてみたり、そうかと思いきや、口をへの字にしながら眉をしかめてみせたりと忙しい。普段はあまり感情を表に出さないタイプの氷川にこんな顔をさせられるのは遼二だからこそ、なのだろうか。
「ん、今はお前が気付いてねえだけよ。まあ、とにかくそう遠くねえ未来にちゃんと上手くいくようになってっから! そん時は素直になってがんばれよ?」
「素直にって……お前なぁ」
「図星だろ? お前って年がら年中仏頂面だから、慣れるまでは何考えてんのか読めねえタイプだって、紫月もよくそう言ってたしよ? 素直になんなきゃいけねえ時は意地張らねえでがんばれってことよ」
 親指を立てて、ガッツポーズをし合うように繋がれた拳と拳に力を込める。
「は、お前らには適わねえなぁ。まあ有難く、お前と一之宮の忠告として受け取っておくぜ」
「その意気だ! がんばれよ?」
「おうよ」
 心の底から二人は笑い合い、そしてまたひとたび互いを見つめ合った。
「――ん、そろそろ遼平が目覚めそうだ。じゃ、俺はもう行かねえと」
 天国へ帰るという意味なのだろうか、氷川は咄嗟に引き止めるように繋がれていた掌に力を込めた。
「なあカネ、また……会えるんだろ? お前らはいつでも遼平と紫苑の中にいるんだろ?」
 ついそんなふうに訊いてしまった。だが、遼二は穏やかに首を横に振って微笑わらった。
「や、いつまでも俺らがこいつらの中で占領してちゃいけねえんだって……そう思ってよ。ヤツらにはヤツらの人生がある。俺と紫月じゃなく、遼平と紫苑っていう二人の人生が……さ?」



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