春朧

新しい季節へ 2



 その後、気を利かせた倫周が皆にお茶を用意し、しばしは雑談に花が咲いた。
 春日野と徳永が幼かった頃の話から始まって、今現在何をしているのかなど、話題は尽きない。
「徳永さんは俺らと同い年っすか? 高校は桃稜?」
「ええ、桃稜出身ですけど今は都内の音大に通っています」
「音大!?」
 驚いたのは遼平と紫苑の二人だ。
「僕は菫より三つ程、歳が上なんです。だから桃稜でも一緒になることはなかったんですけど」
「ああ、ちょうど竜胆さんが卒業した年に俺が一年で入学だったから」
「へぇ、そうなんだ。三つ年上かぁ……」
 盛り上がる会話の中、ふと思い付いたように紫苑が口を挟んだ。
「えっと、だったら徳永さんって何か楽器とか弾けたりします?」
 その問いに、遼平も倣うように瞳を輝かせる。
「そうそう! そういえば例のバラードの編曲のことでちょっとさ……春日野にも意見を訊きてえなって思ってたとこだったんだ」
 遼平は先程弄り掛けたまま忘れていたノートパソコンを差し出しながら、自分たちで完成させたという編曲を再生させた。それは、静かなバラード調の原曲をアコースティックギターだけで奏でているといったものだった。いわゆるインストルメンタルというやつだ。
「素敵な曲ですね。深い情愛というか、懐かしさを感じるような……」
 聞き惚れるようにして、そう言ったのは徳永だ。その隣で春日野も頷いている。
「ありがとうございます。けど、何つーか、いまいち物足りねえかなと思って、今ちょっと悩んでるんです」
「実はこの曲に合わせてプロモーションビデオを作ろうって話になってるんですけど、俺らの歌入りのとは別に、楽器だけでインストルメンタル流すのもいいかなって。それで、一応二人で編曲してみたんですけど、アコギ(アコースティックギター)だけじゃ何か重さが足りねえっつーか、そんなふうに思ってて……」
「けど、俺らはアコギしか弾けねえから、困ったなって……。パソコンで音を作ってもいいんですけど、やっぱり生で弾きたいとも思いますし」
 そこで――徳永である。彼が音大に通っているという話を聞いて、ギター以外の楽器でもう一つ趣きを出せないかと思ったのである。
 年上の徳永がいるせいで、遼平も紫苑も自然と敬語になっているのが可笑しかったのか、春日野がクスッと笑いを誘われるようにして切り出した。
「だったらピアノを足してみたらいいんじゃねえ? この人、ピアノ科だし」
「え、マジ!?」
「あ、はいそうなんです。もし僕に出来ることがあればお手伝いさせてください! ピアノの音で奏でたらどんなふうになるかとか……今日家に帰ったら録音してみましょうか?」
 それは有難い――!
 そう思った側から、倫周がタブレットを片手に「今ならレッスン室が空いているよ」と、暢気な声を上げた。
「ちょうどクラシックのレッスン室が空いてるから、グランドピアノが使えるよ。何ならすぐに鍵開けるけど」
 倫周は皆の話向きから、リハーサルなどに使っている数あるレッスン室の空き状況を調べてくれていたのだ。善は急げとばかりに、一同は早速そちらへと移動した。



◇    ◇    ◇



 さすがにピアノ科というだけあって、徳永の演奏は見事なものだった。鍵盤の上を流れるような白く細い指先が奏でる音はやわらかで美しく、まさに『透き通った』というべく優雅な音色が素晴らしい。やはりアコースティックギターで弾くよりも曲のイメージにぴったりとはまってくる。
「すげえ……」
 無意識にそんな言葉がこぼれてしまうくらい、とてもいい感じだった。と同時に、クラシック専用のレッスン室だというだけあって、揃えられている楽器の種類もさすがといえる。
 今、徳永が弾いているグランドピアノもさることながら、弦楽器や管楽器、パーカッションに至るまで、すぐにもオーケストラができるくらいの本格的なものだ。遼平も紫苑もこの部屋に来るのは初めてだったから、とにかく驚かされてしまった。

「うーん、やっぱりもう少し音に幅が欲しいかな……」
 ピアノの前でそう呟いた徳永の言葉で、ふと我に返る。演奏は素晴らしいし、アコースティックギターで奏でるよりもずっといい――そう思っていたのだが、徳永には何か物足りないようだ。
「ねえ菫、ちょっと重ねてもらってもいい?」
 重ねる――とはどういう意味だろう。遼平と紫苑は互いに顔を見合わせたが、次の瞬間、春日野が倫周に向かって訊いた。
「すみません、こちらにある楽器はお借りすることができますか?」
 倫周はすぐに言われていることの意味を理解したのだろう、
「勿論! どれでも好きなのを自由に使っていいよ。すぐに弾けるように手入れは万全にしてあるから」
 ニッコリと微笑みながらそう言った。すると春日野は「お借りします」と言って、弦楽器が置いてある棚へと向かった。
 まさか彼も何か弾くつもりなのだろうか、驚いたのは遼平と紫苑の二人だ。隣校で不良の頭と言われているような男とクラシックの弦楽器は、どう考えても結びつかない。しばし唖然としたように口を開いたまま突っ立ってしまったくらいだ。
 そんな様子に春日野は少し恥ずかしそうにしながらも、バイオリンを手に取った。
「……え? 春日野、お前……まさかだけど……弾けるのか?」
 瞳をパチパチさせながら紫苑がそう問う。
「まあ、少しだけな」
 とりあえず謙遜を口にするも、その姿は既にサマになっている。徳永の隣で弓を構えた立ち姿は、どこから見ても素人とは思えない立派な演奏者のそれに思えた。
 そして、徳永の指が鍵盤を彩り――それに続くようにバイオリンの音色が重なると、遼平も紫苑も驚きに目を見開いてしまった。出だしは透き通るような音色が切ない心情を見事に表していて、郷愁を誘う。サビの部分に入っていくにつれて、二人の奏でる音も強くダイナミックになっていき、全身が硬直させられるような感動が襲い来る。まさに氷川の二十年間の思いを体現してくれるような調べに、全身に鳥肌が立つ思いでいた。
「すげえ……」
「うん……、何つーか……感動で鳥肌が治まんねえ……! やべえよ……」
 しばし言葉にならずに恍惚とした表情で立ち尽くす。
「つかさ、まさか春日野がバイオリン弾けたなんて……めちゃくちゃ驚きだぜ」
「何せ春日野っつったら、桃陵の頭って言われてるくらいだから、確かにイメージできねえ」
 未だ呆然ながらも、心底感嘆したようにそんなことを言っている遼平らに、当の春日野は照れ臭そうにしている。そんな三人の様子を微笑ましげに見つめる徳永も嬉しそうだった。
「けどほんと……二人すげえ息が合ってたっていうか……この曲だって今日初めて弾いてもらったとは思えねえよな」
「ん、ちょろっと楽譜見ただけで弾けちまうってのもすごい」
 遼平と紫苑が未だ興奮冷めやらぬで、溜め息を漏らしている。そんな様子に、
「僕がピアノを始めたのは小学生の高学年からで遅かったんですけど、実は菫のバイオリンと連弾がしたくてね。親に無理言って絶対習いたいっって頼み込んだのが始まりなんですよ」
 徳永は照れながらそう言った。
「そうだったな。まあでも俺は正直クラシックよりも他に興味がいっちまってさ。中学に上がる頃にはすっかり竜胆さんの方が上手になっちまってた」
「せっかく連弾を楽しみにがんばったっていうのに、菫ときたらバイオリンはそっちのけでジャズに興味を持っちゃってね」
 ジャズとはまた随分とクールである。どちらかといえばクラシックよりはジャズの方が春日野の雰囲気には合うかも知れない。
「じゃあもしかしてサックスとかも吹けるとか? あ、でも弦繋がりならコントラバス……だっけ? あのでっけーバイオリンみてえなの?」
 そう訊いた遼平に、
「いや、菫の十八番はドラムスなんですよ」徳永が答えた。
「ドラムス!? お前、ドラムも叩けるのか?」
「マジかよ! 聴いてみてえ!」
 ほとほと感心させられる。
「まあ、ドラムスとピアノでもいいんだけれど、僕としてはやっぱり菫の奏でるバイオリンが好きでね。でも最近はなかなか聴かせてくれないんですよ。だから今、久しぶりに連弾できて、ちょっとワクワクしちゃった」
「聴かせてくれないって……それほど練習もしてねえし、恥ずかしいだけだって」
「そうなの?」
「そりゃ……そうだろ? 俺とあなたじゃすっかりレベルが違うって」
 何だかこの二人を見ていると、本当に幼い頃から互いを大事に想ってきたのが手に取るようだ。しかも年上の徳永を敬ってか、無意識に『あなた』と呼ぶ春日野に思いがけない一面を見たようで、遼平も紫苑も心が温かくなる思いでいた。
「ところで春日野、それから徳永さん! もし良かったら二人の演奏を録音させてもらってもいいですか?」
 遼平が思い切ってそう願い出たのに続いて、
「できれば是非お願いします! プロモのインストルメンタルで流すにはやっぱり俺らのアコギより全然雰囲気あるし、氷川のオッサンには最高の出来にして贈りたいんです」
 紫苑も切なる思いでそう頼み込む。そんな二人の申し出に、徳永は嬉しそうに頷いた。
「勿論、僕らはお手伝いできるならすごく嬉しいけれど。ねえ、菫?」
「ああ、けど……ピアノはともかく……俺のバイオリンで本当にいいのか? 俺のはこの人のと違って完全な趣味の域だぜ? マジでガキの頃にちょろっと習っただけで、今じゃ殆ど――」
 春日野が不安そうにそんなことを言ったが、遼平と紫苑の思いは揺るがなかった。
「ん、お前に弾いて欲しいんだ。何てったってお前って桃陵だし――、それに何となく氷川さんに雰囲気似てるっつーか……」
「あ、やっぱお前も思った? 実は俺も! もしかしたら二十年前の氷川さんと……俺らにそっくりな遼二と紫月……。きっと今の俺らみてえに過ごしてたこともあったのかなってさ」
 プロモーションビデオで当時を再現するならば、是非ともこの春日野と一緒にやりたい、二人は切にそう願っていた。今し方、遼平が言ったように、どことなく氷川を思わせる面立ちといい、持っている雰囲気が似ているように感じるのも確かだ。そんな思いが伝わったというわけか、春日野もコクリと頷くと、
「分かった。じゃあそれまでにちょっと特訓しなきゃだな」
 そう言って、はにかむように笑って見せた。
「あー、じゃあ俺らも負けねえように歌の方、しっかりやんなきゃ!」
「ん、だな! 譜面追わねえとマトモに歌えねえんじゃ、また氷川さんにドヤされっからな」
 ドッと場が湧き、それまで若い彼らのやり取りを側で見ていた倫周も一緒になって笑い合う――ちょうどその時だった。
「どうせなら録音じゃなく、生で演奏していただいたらいいんじゃないか?」
 頼もしげな声に後ろを振り返れば、いつの間に来たのか、社長の粟津帝斗がにこやかに微笑みながら立っていた。
「お二人の演奏、僕も聴かせていただきましたよ。素晴らしいですね」
 絶賛の言葉に、春日野も徳永も恥ずかしそうにペコリと頭を下げる。
「さすがに春日野朧月(かすがのろうげつ)氏のお孫さんだ。見事でした」
 帝斗が当たり前のように言ったそのひと言に、遼平と紫苑がすっとんきょうな大声を上げて瞳を見開いた。
「か、春日野朧月ッ!?」
「……って、めちゃくちゃ有名なバイオリニストじゃねえか……」
 そう――春日野朧月といえば、国内どころか世界的に有名な音楽家の名前だ。春日野がその孫であるなどと、今の今まで全く知らなかったので、しばし驚きで絶句させられてしまった。確かに名前は『春日野』で一緒だが、あまりにもイメージが違うので、結びつかなかったわけだ。まあ、だがそれならばバイオリン演奏ができるというのも頷ける。遼平も紫苑も唖然としたように口をポカンと開けたまま、『クラシックには縁の程遠いような俺らでさえ、春日野朧月って名前は知ってるぜ』と、まさに顔にそう書いてあるような表情で固まってしまっていた。そんな二人を横目に帝斗が微笑ましげに言う。
「春日野君のご一家は皆さん音楽家でいらしてね。僕も先日からの一件で彼とご交流させてもらうようになってから知ったことなんだけれど。でも本当にさすがというか、徳永さんもお小さい頃から春日野君と一緒にご精進なされてらっしゃるだけあって、素晴らしかったよ」
 どうかお二人の力をこの遼平と紫苑に貸してやってください――そう言って深々と頭を下げる帝斗に、春日野らは恐縮しつつも素直に嬉しそうに頬を紅潮させる。遼平と紫苑も、自分たちの為に頭を下げて頼み込んでくれる社長の言葉に、胸の熱くなる思いでいた。



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