春朧
「そうだな――。確かにお前の相棒に手ェ出したのは悪かった。けど、目の前でこれだけ派手に仲間のめされりゃ、俺も黙ってるわけにはいかねえな?」
「ふん、そーかよ。ま、確かにてめえとは一度やり合っといた方がいいかもな? そーすりゃ、こーゆーバカ連中にもいい教訓になんだろーぜ?」
憎々しく口元をひん曲げながらそう言った。
埃臭い倉庫に緊張が過ぎる――
余裕の表れなのか、どちらとも堂々、まるで怖気づく気配はない。それどころか不気味なくらいの落ち着き払った視線で対峙する二人を交互に見やりながら、桃稜の一団は固唾を呑むように顔を強張らせた。
「てめえらは先帰ってろ」
「けど氷川さんっ……!」
「てめえらじゃ相手ンなんねえっつったろ? ここにいたって足手まといなだけだ。表に転がってる連中を引き連れてサッサと失せろ」
氷川はそう指図をすると、後は俺が引き受けるといった調子で仲間たちを全員この場から追い払ってしまった。
「さてと――、これで一対一だな。気兼ねなく話ができるってもんだ」
ニヤリと口元をゆるめてみせた氷川に対して、眉を吊り上げた。こちらにしてみれば思いきり的外れな展開だ。いかに桃稜番格といわれる氷川が相手になるといったところで、遼二襲撃に関係していないのであれば、正直なところ用はない。逆に襲撃した当人らを逃がしてしまわれては話にならない。だが裏を返せば、此処を通して欲しければ、とにかくこの氷川を倒して先へ進むしかないといわれているようでもあり――次第に苛立ちを覚えた。
「要は何? てめえをのめさなきゃ、あいつらに手は出させねえってことかよ? 面倒臭えことしやがって」
少しの緊張感を漂わせながら、ジリジリと互いの距離を詰めてゆく。一歩、また一歩と円を描くように対峙しながら、しばしの間、様子見合いが続いた。そうして間合いを取りながらにして、先に言葉を掛けてきたのは氷川の方からだ。
「今回のことは確かにウチ(桃稜)の連中が悪かった。てめえの相棒の鐘崎には申し訳ねえことしたって思ってるよ」
「は、素直に謝りゃそれで済むと思ってんのか?」
「別にそうは思ってねえよ。けど――、確かにウチの連中が悪かったに違いはねえが、今回のことを引き起こしたのにはてめえらにも原因あるんじゃねえのか?」
「はあ……!?」
寝耳に水の言い分に一層眉を吊り上げた。だが氷川は相変わらずに薄い笑みを浮かべたままの状態で、意外なことを口走った。
「てめえとカネが仲間割れしてるみてえだから――今がチャンスだと思ってカネを襲ったって、あいつらそう言ってたぜ?」
「カネ……だ?」
鐘崎だから略して『カネ』というわけか――随分とまた馴れ馴れしい物言いをしてくれるものだ。そんな思いが過ぎったのも束の間、
「つまりてめえらが痴話喧嘩なんかしてなきゃ、奴らもそんな気は起こさなかったってことだろう」
まるでからかうように冷笑されたのに対して、分の悪い思いが先立ってか、咄嗟には返答ままならない。それを他所に氷川の方はますます余裕の笑みを浮かべ、いよいよ格闘の体勢を取りながらも、「お前、合気道やってんだっけ?」などと趣旨外れのようなことを訊いてくる。それだけでもイラッとさせられる上に加えて、「なら勝負付かねえかもな? 俺は拳法だから」などと、ますます話題がズレた方向へ向かっているようだ。それだけ余裕があるというところなのか、思いきりおちょくられているようで気分が悪い。
減らず口はその辺にしやがれとばかりに拳を振り上げた。だがやはり一筋縄ではいかない相手だ。身軽にかわされ、間髪入れずに反撃が返ってくるのを避けさせられる手間にも苛立ちが募る。しばし空振りの繰り返し合いが続いた。
どちらの攻撃も未だ入らない。
いい加減焦れったくなってきた頃だ、
「――なあ一之宮。お前とカネ、何で喧嘩してるわけ?」
一撃、また一撃と拳を振り上げ、それをかわし合いながらそんなちょっかいめいたことを訊かれるのもうっとうしい。
「ンなこたぁ、どーだっていいだろ! てめえにゃ関係ねえ!」
「まあ、そうだな。けどちょっと興味あるな、お前らの喧嘩の理由」
「……っるせーんだよっ! 第一、喧嘩なんかしてねえっつの!」
「なら何でお前一人なんだ。果し合いに来んならカネも一緒だと思ってたけどな? 今日、退院すんだろあいつ。迎えにも行かねえでこんなトコで油売ってていいのかよ?」
「……っ、しつけーんだよっ!」
「なあ、もしかしてだけどよ――」
――お前とカネ、どっちかが浮気でもしたとか?
そのひと言に不意を突かれたか、ほんの一瞬ゆるんだガードの隙を縫うように、氷川の一撃が脇腹へと的中した。ガクンと崩れる身体を片手で支えられ、
「やっぱ図星か?」
そう言ってニヤリと笑った氷川の顔を見上げながら苦い思いを噛み締める。
「いきなり何……抜かしやがる、てめえ……」
まだこうして話せて若干動けるということは、手加減してくれたのだろうとも思えたが、さすがに重い一撃に変わりはない。氷川とは実際こうしてやり合うのは初めてではあるが、やはり噂に違わず腕の達つ男なのだろうことを実感させられたようで、苦さを噛み締める。
「なあ一之宮。俺、前に見たことあんだぜ」
「……は、何……を」
「お前らが繁華街のラブホから出てくるところ」
――――ッ!?
「深く帽子被ってグラサンでツラ隠してたけど、ありゃ、お前とカネに間違いねえ。あんな目立つ街中で野郎二人連れでラブホってさ? お前ら、案外賢そうなのに随分度胸いいことすんなって、ちょっと意外だったぜ。ま、そんな危険冒してまで我慢がきかねえくらい欲してたってことか――?」
「な……に言って……」
「付き合ってんだろ、お前ら?」
あまりに驚いてか、一瞬呆然となった隙をつかれて素早く腕をひねり上げられて、すかさず氷川の足元で膝を付かされてしまった。そして学ランを捲くり下ろすように両肩から脱がされたと思ったら、それで両腕を縛り上げられて、完全に動きを奪われてしまった。
「何しやがるてめえ……!」
抵抗もむなしく、いつの間に探り当てられたのか、気付けば胸ポケットから携帯を抜き取られて焦る。慣れた手つきで氷川がそれを弄っているのを横目にしながら、力一杯もがけども、身動きもままならない。
「は、やっぱカネの携番が一番上じゃねえか」
ニヤニヤと意味ありげに笑いながら登録メモリーを探られている様子にブチ切れた。
「何やってんだてめえッ! 他人の携帯、勝手に弄ってんじゃねえよっ! 返せったら、このヤロー!」
「ああ、無駄に暴れねえ方が身の為だぜ。そう簡単には解けねえように縛らしてもらったから! それより一之宮。俺の仲間がてめえらに悪さした詫びってわけじゃねえが――今からちょっとイイことしてやんよ」
氷川はそう言うと、突如後方から抱き付き、いきなりシャツを引き裂いてみせた。
「……ッ!? 何……すんだ、てめっ……!?」
引き千切られたシャツの合間から素肌が覗く。驚く間もなく首筋を生温かい吐息が掠め、耳たぶに氷川の唇が触れた。予想だにしない展開にギョッとなり、硬直させられてしまう――。
「ふざけて……んじゃねえぞっ!」
「声、裏返ってんぜ?」
一対一の番格勝負だったはずがこの展開は何だ、と焦ってみても驚きが先立って思考が回らない。驚愕に硬直する様子を面白がるように、氷川は先程取上げた携帯を目の前へと差し出すと、
「カネの奴、もう退院したんじゃね? 今頃は家に帰ってっかな? それともお前がいなくて心配してっかもな? だからよ――」
――今から電話してココに呼び出してやろうか?
その言葉にますます硬直させられてしまった。いったいこの男は何を考えているというのだ。氷川の意図がまるで読めずに戸惑うばかりだ。
身動きがとれない歯がゆさも相まってか、それ以上は抵抗も反撃もできずに、悔しさを噛み締めるしか術はない。そんな様子にますます満足げに、目の前に差し出された携帯の通話ボタンが押される。
「鐘崎か?」
電話が通じた様子に、氷川に抱き締められたままで蒼白となった。
「――鐘崎か? 無事退院したのか?」
聞き慣れないその声に、電話の向こうではしばしの沈黙の様子が窺える。
『――誰だ、てめえ』
グッと落とされた低い声のトーンでそう返ってきた返事に、その応対を面白がるような、あるいは満足だといったような調子でクスッと鼻先で笑む氷川の様子が目に入る。
『てめえ、誰だって訊いてんだ! なんでその電話を持ってる!?』
番号の通知で相手を知ったのだろう。本来、一之宮紫月が持っているはずの電話から違う男の声がすることに遼二は焦ったようであった。
「まあそう急くな。電話の持ち主はちゃんとここにいるよ。てめえの相棒、一之宮紫月――」
『――――ッ!? 何言ってやがるっ! 紫月と一緒ってどういうことだ……てめえ誰だっつってんだっ!』
「さあな。そんなことよりお前、もう病院出てんだろ? だったら今からすぐに此処へ来い。病み上がりのところ酷な話だが、急いだ方がいいぜ? でないとお前の相棒がさ――」
またひとたびクスッと笑い、と同時に拳を思い切り口に突っ込まれて驚かされた。
「……っ、ん、……ぐっ……ぅっ……!」
「ほら、いつまで強情張ってねえでちゃんと口開けよ、一之宮。それとも何だ、コレがデカ過ぎて咥え切れねえってか? おっと! 歯立てんのはナシだぜ?」
「んっ、んーーっ、ぐぅ……ぁっ……!」
『てめえッ! 一体何してやがるッ!? おい、そこに紫月がいんのか!?』
電話の向こうでは焦燥感をあらわに怒鳴り上げる愛しい男の声――
「場所は埠頭の第六倉庫だ。待ってるぜ」
『ちょっ……! 待てっ! てめえっ……、そいつに何かしやがったらただ置かねえぞっ!』
「そりゃお前次第だろ? 大事な相棒がどうかされちまう前に辿り着けるといいけどな?」
それだけ告げると、まるで楽しんでいるような笑い声と共にブツリと電話が切られた。
「……っぐ……、かはっ……!」
遼二との通話を切ったと同時に、今まで咥えさせられていた氷川の拳骨ゲンコツを引き抜かれて、思い切り咳き込んだ。
「てめっ……! どういうつもりだッ!」
「何が?」
「今の電話は何だって訊いてんだよっ! 何であんなこと言いやがった!? てめ、一体何がしてえんだ……!」
あんな――ともすれば淫らな想像を駆り立てるような卑猥ギリギリな言葉。今の遼二と自分にとっては最も悪い挑発に他ならない。遼二には自分がこの男によからぬ陵辱行為を強いられているように受け取られてしまったかも知れない。いや、そうに違いない。
だが実際のところは見せかけの偽造行為、この男が本気で自分をどうにかしようとしているような気配は正直感じられないし、そういうつもりもないようだ。だったら目的は一体何だというのだ。わざわざ挑発めいたこんな電話をかけて遼二を呼び出して、この男は何がしたいというのだろう。訳が解らずに困惑させられるばかりだ。
「ふ――、カネの奴、相当焦ってたぜ? あの調子じゃ、きっとすっ飛んで来んに違いねえな。そんじゃこっちもゆっくりしてらんねえか? ホントはちょっとくれえ楽しませてもらう時間欲しいところだけどな」
氷川はそう言うと、背後から抱き締める力を強くして、ギュッと身体を密着してよこした。そして再び耳たぶにキスをするように唇を這わされ、裂いたシャツの隙間から素肌を弄られる――。
「カネとお前さ、ヤる時、どっちがどっちだよ? 俺の予想だとお前が抱かれる方ってな気もすっけど?」
胸の突起を親指で転がされながら、首筋のあちこちを這うようにキスをされた。
「……っのヤロ、いい加減にっ……しね……かッ! ……ったい、何のつもり……うぁっ!」
「おっと! イイ声出してんじゃねえって。その気になっちまう」
「……ッカ野郎ッ! ……俺に……ンなことしてっ、てめ、遼二に殺されんぞ!」
そう怒鳴ると、氷川は満足そうにニヤニヤと笑い声を漏らした。
「へえ? 痴話喧嘩してるわりにゃ大層な自信じゃねえか? てめえに”こんな”ことすっと、カネが怒るんだ?」
「……からっ、喧嘩なんかっしてねっつって……んだろ……! いい加減っ、放しやがれクソ野郎!」
「放してやってもいいけどよ。せっかくだからお前のこの姿、カネにも見てもらわなきゃ意味ねえな。遠目からだとマジで犯られちまってるように見えっかもよ? 大事なお前が穢されちまったって知ったら、カネの奴どんな顔すんだろうな? 嫉妬に狂って、俺マジで殺されちまうかもなぁ?」
ツラツラと楽しげな台詞が耳元を弄ぶ。いい加減腹が立って思い切りもがいてみたが、逆に髪の毛を掴み上げられ、口の中に指を突っ込まれて、どんどん卑猥な格好に持っていかれるのに敗北感を痛感させられる気分だ。
今のこんな状態は、氷川の言うように遠目から一見しただけでは本当に犯されているように見えてしまうだろう。しかもわざとこんなものを遼二に見せ付ける気でいるらしいこの男の目的が全く理解できない。遼二を挑発し、激怒させてどうしようというのだ。
それに、如何に病み上がりとはいえ、遼二と自分が揃えば二対一だ。それでも余裕で勝てる自信があるということを知らしめたいと、単にそれだけなのだろうか。逆上を煽って尚、お前らは俺には敵わないということを分からせてやるとでも言いたいわけか。考えれば考える程、ますます訳が解らなくなった。
そんな時だ。遠くに自分を呼ぶ遼二の声がかすかに聞こえたような気がして、ハッと扉口に目をやった。
「おっと、もうご到着かよ。お早いことで! そんじゃ最後の仕上げにお前にはもう一肌脱いでもらいましょうってか?」
氷川はそう言うと、ズボンのベルトをゆるめてよこし、そのままジッパーまでをも下ろされてしまった。
「バッ……!? てめっ、何っ……」
「まあそう焦んなって。これからがお楽しみなんだからよ」
「何考げーてんだ、てめえはよッ! 本気で犯る気なんかねえんだろうがッ!? 目的は何だ! あいつを煽って何しようってんだよっ!」
「何、単に興味あるだけよ。言ったろ? お前らの痴話喧嘩の理由に興味あるって。カネの奴、どうやってお前を助けんのかな? それとも案外守りきれなくて、お前が俺のモンになるって展開もアリだったりして。そしたら記念に一発くらいはヤらしてくれるか――なんつってな?」
相変わらずにヘラヘラと面白そうにそんなことを口走る。耳元でふざけた台詞をほざいている氷川に滅法腹の立つ思いは勿論だが、今はそれよりも遼二の存在の方が気になって仕方なかった。
こんな格好をあいつに見られたら――
あいつはどんな顔をするだろう。
男にいいようにされているだなんてみっともない。いや、それ以前にヘンな誤解だけはされたくない。どうせこの男は本気でどうにかしようなんて微塵も思っちゃいないのだろうから……。
だから誤解だけはしないでくれよ……。頼むよ遼二――!
お前がその扉を開けて、この光景を目にした時の驚愕の表情が目に浮かぶ。想像できる。きっと怒りに震えて、そしてすごく辛そうに苦そうに顔を歪めて――そんなお前のツラ、見たくねえよ……!
お前に哀れんだ目で見られたりしたら――恥ずかしくってマトモに目を合わせることすらできねえ――
ああ、遼二――――!
複雑な感情が一気にあふれ出す。それらを煽るように氷川の唇が首筋を捉え、撫で、悪戯なキスに犯されていく。口中に突っ込まれたままの指、思わず溢れる悔し涙とも汗ともつかないものがこめかみ付近から頬へと流れ落ちる。
嫌だ……っ!
放せ……っ!
ぐああーーーーーー!
痛烈な叫び声と、遼二が扉を開けた音とが重なって、薄暗い倉庫の中に真昼の閃光が過ぎった。
「紫月……ッ!?」
「よう、カネ! 早かったじゃねえか。文字通りすっ飛んで来たってわけか?」
「……!? てめ、氷川……? 桃稜の……? なんでてめえが……、何してやがるッ!?」
後ろから羽交い絞めにされるように抱きかかえられて必死でもがく姿、破られたシャツから覗く素肌、ジッパーのおろされた制服のズボンが太股あたりで絡まり下着だけにさせられた恥辱の格好で捉えられている。
「遼……! 来るなッ……!」