春朧

二十年前、春――



 二十年前、春――

「しっかしお前らがあの『桃稜の白虎』と懇意にしてたなんてさー、未だに信じらんねえよなあ?」
 卒業証書の入った筒を小脇に抱え、河川敷を歩きながらそんなことを言ったのは、つい今しがた四天学園高等部を卒業したばかりの清水剛と橘京だった。それを横目に、少々ふてくされたような顔つきで眉をしかめてみせたのは鐘崎遼二と一之宮紫月の二人、彼らは同じクラスで高等部の三年間を過ごした仲間内だ。
「別に……懇意になんかしてねえっつの!」
 揃いの学ランを着るのも今日が最後、こうして当たり前のように肩を並べて歩くのも、これからはぐっと少なくなることだろう。皆一様に多少の感慨にふけりながら校門をくぐり、最後のひと時を惜しむように河川敷までの道のりを歩いた。
 ここへはよく授業を抜け出しては息抜きに来た、今となっては懐かしくも思える場所だ。花曇りの空の下、瞳を細めれば遠目に埠頭の倉庫街が見渡せる。隣校の連中らと対番勝負などと銘打って、よくあの倉庫で喧嘩をしたり、好き勝手をやったりしたのが遠い日のことのように感じられる。とかく、隣の桃稜学園の連中とは、しょっちゅう小競り合いを繰り返したものだ。
 お互いにあまり素行の褒められた学園じゃなかっただけに、街中で顔を合わせれば一触即発の間柄。そこの番格と言われていたのが『桃稜の白虎』という異名までとった氷川白夜という男だった。
 かくいうこちらも遼二と紫月を筆頭に、『四天の蒼龍に玄武』などと呼ばれて、不良連中らの間では頭扱いされてきたわけだが、犬猿の仲と称された四天と桃稜の頭同士が実は懇意な間柄だったなどと聞かされれば、驚くのも無理はない。剛と京はほとほとびっくりしたというふうにしながら、隣を歩く二人を見つめていた。
「そういやお前ら、前に氷川とやり合ったって言ってたもんな? もしかそれがきっかけで仲良しンなっちったとか? そーゆーのってよくあるっつーじゃん?」
「そうそう、一通り暴れて勝負が終わった途端、今までいがみ合いしてたのが嘘みてえに和解しちまうって話!」
 ひょっとしてお前らもそのパターンかといわんばかりの勢いで、剛と京に交互交互に問い詰められて、紫月はうっとうしげに口をとがらせた。
「は――、くだらねえ。俺りゃー、別に和解だの懇意にしてるつもりはねえよ! 単にあの野郎(氷川)が帝斗や倫周の知り合いだったってだけだ」
 そう言った側から、ふと眼下の河原に目をやれば、先に来ていた当の倫周らがこちらを見上げながら大きく手を振っていた。倫周の隣には彼の兄である粟津帝斗と、その横にはたった今噂にのぼっていたばかりの氷川もいる。紫月は『そら見たことだ』といったふうに、剛らに向かって顎先で彼らの方を指してみせた。

 紫月たちが帝斗や倫周と知り合ったのは、今からちょうど一年程前のことになる。それはちょっとした事件のような出会い方だったのもあって、その時のことは今でも鮮明に覚えていた。
 倫周はもともとの名を『柊倫周』といって、四天学園とは隣の市にある名門校、白帝学園の高等部に通う一年生だった。幼い頃に両親を亡くしていた彼は、当時、伯父の家に引き取られて暮らしていたのだが、虐待まがいの扱いに耐え切れずに家を飛び出したところへ、偶然鉢合わせたのが彼と出会ったきっかけだった。
 その後いろいろあって、結局は白帝学園の先輩であり、学園創設者の曾孫でもあった帝斗の家の養子として迎え入れられることになったわけだが、それまでの過程でいろいろ相談に乗ったり、交互交互に家に泊めたりして世話を焼いてやったのが経緯だ。

 粟津家というのはいわば大財閥というやつで、国内外でも名を馳せている程の大富豪だった。帝斗はその粟津一族を束ねる本家の長男であったが、当代当主である彼の父親には、子供は帝斗一人しかなかったというのもあって、倫周を養子に迎えることに大賛成だったようだ。
 その帝斗の父親が仕事上の関係で懇意にしていたのが氷川の父親というわけだったから、当然、息子同士も次代継承者ということで顔見知りだ。
 その氷川は桃稜学園の番格で紫月らとは犬猿の仲――と、まあ、少々入り組んだ間柄ではあるが、そんなふうにして交友が交友を呼び、今のような関係が成り立ったわけだ。
 紫月らにしてみれば、倫周は自分たちが世話を焼いた経緯からして憎めない相手に違いはなく、その義兄となった帝斗にも何となく恩義が感じられる。一方、犬猿の仲である桃稜学園の氷川とは因縁関係なのは変わらない。だが、その帝斗と氷川が家族ぐるみの付き合いをしているのでは、まさかそれをブチ壊すわけにもいかないといったところで、まあ少々不本意ながらも”なあなあ”の付き合いを続けてきたというところだった。
 そんな彼らも今日が同時に卒業式とあって、それぞれ学園は違ったわけだが、式が済んだらこの河川敷で落ち合おうという算段になっていたのだった。

 薄いグレーのブレザーにからし色のタイ、番を張り合ってきた見慣れたその制服に身を包む『桃稜の白虎』本人を目の前にして、剛と京は揃って『ひゅー』と声を上げた。
「あんたの噂、知ってんぜ! 桃稜の白虎っつったら有名だもんな」
「そうそう! 有名っつーか、桃稜の連中の間じゃ『氷川伝説』とかいうのまであって、不良連中から超敬われてるって話じゃん!」
 物珍しそうに氷川を取り囲みながら、交互交互にそんなことを言っている。ヘンな話だが、高校在学中には少々恐ろしくて遠巻きに見ていただけの相手でも、卒業式が済んでしまった今ならば、声を掛けても許されるだろうといった心境なのだ。
 とかく、やんちゃだ何だといわれる連中というのは、自分よりも強そうな相手に興味はあれども、おいそれとは声も掛けられないといったことが多い。だからこの氷川のことも、こんなに側で話ができるという機会に一種の憧れとか醍醐味を感じるわけなのだろう、少々ワクワクとした調子で彼を取り囲んでいる。
 そんな様子に当の氷川は苦笑気味、遼二と紫月は呆れ半分で素知らぬふりだ。それらを横目にしていた帝斗が可笑しそうに口を挟んだ。
「氷川伝説じゃなくて、正しくは『氷川事件』さ。なんでも川向うの高校が暴走族まで引き連れて桃稜学園に乗り込んできたのを、たった一人で鎮めたっていう話だよ? 白夜が中学三年の頃のことさ」
 そうだったよね、とでもいうようにして帝斗が氷川の方を振り返った。だが当の本人は、
「んなの……どーでもいいじゃねえか」
 ボソリとそう言いながら照れるでもなければ誇るでもなく、苦虫を潰したような顔で勘弁してくれといったふうに困惑気味だ。そんな彼を横目にしながら、素知らぬふりを続けていた紫月がクスッと鼻を鳴らした。
「そんなんだからてめえは愛想無えとか、ぶっきらぼうだなんて言われんだよ」
 褒められたら軽いノリで素直に威張ればいいじゃない? とでも言いたげにしながら、だがそんな不器用なところもお前らしいよなといった調子で、クスッと笑う。
「……ッるせーな。そーゆーてめえだって無愛想を地でいってんじゃねえか」
 氷川がチッと軽い舌打ちと共にそう返せば、その傍らでは剛と京が『やっぱりお前ら仲良いんじゃん!』と言っては囃し立てる。
 氷川と遼二と紫月――この三人のやり取りを見ていると、犬猿の仲だの対番だのと言われながらも、何だかんだいってお互いに一目置いているというのが暗黙了解に感じられるわけだ。
 剛と京にはそれが嬉しいのか、とにかく自分たちの仲間である遼二と紫月が『桃陵の白虎』と親しいということ自体が鼻が高いとでも言いたげなのである。
 帝斗は彼らを微笑ましそうに見つめながら、まだ蕾の固い河川敷の桜並木へと目をやった。
「あー、ホントに卒業したんだなぁ……」
 あの桜が咲く頃には、僕らはお互いどうしてるかなとでもいうように、感慨深げに瞳を細める。それに同調するように、今まで氷川を取り囲みながらはしゃいでいた剛が穏やかに口を開いた。
「俺さー、やっぱギタリストになるって夢、諦めないでがんばろうと思ってんだ。春休み開けたらバイトしながらぼちぼちライブ活動とか始めようと思ってる」
 突然の台詞に、皆は一様、ハッとしたように剛に視線を向けた。
「あ、えーと、だからさ……よかったら、そン時はライブ観に来て?」
 少々照れたように頭を掻いてみせる彼を、誰もがあたたかい思いで見つめていた。
 こんなふうに将来の話が出始めると、本当に卒業したのだと実感させられる。と同時に、当たり前のように傍にいた日々が酷く遠くにいってしまうようで、何とも切ない思いがそれぞれの胸をよぎった。特に四天学園で一緒に過ごした遼二、紫月、剛、京の四人は一層その思いが強かっただろうか。何よりの仲間だった剛の話につられるようにして、京も似たような夢を口にした。
「俺も剛と一緒でミュージシャンを目指すよ。ずっとやってきたベースをこれからも続けてみようと思ってる。あ、けど俺は近所の修理工場に一応就職決まってっから……剛ほど本格的ってわけにゃいかねえと思うけど」
 そうだった。剛と京はよく学園祭などでもバンドを組んで演奏していたのを思い出す。
 大きな夢を追って歩き出そうとしている彼らを応援する気持ちは無論のこと、だが反面、やはりそれぞれに離れてしまう寂しさが胸を締め付けるようだった。
 少々湿っぽいそんな雰囲気を取っ払うかのように、次に口を開いたのは紫月だった。
 紫月は父親が営んでいる道場で見習いをしながら、将来的にはそれを継げるよう精進するつもりだと、そんな報告をした。そもそも紫月が四天学園で番長扱いされてきたのは、道場育ち故、幼い頃から身に付けた合気道のお陰で、滅法喧嘩が強いというのが大きな理由だった。まあ実際、向こうっ気の強いのも相まって、番格に据えるにはもってこいの実力が備わっていたのも確かではあった。
 紫月は、『俺はこれまで通りずっと家にいるから、お前らいつでも寄ってくれよな』などと言っては笑った。
 一方、そんな紫月とは小学校の頃からの馴染みで、永年ツルんできた親友の遼二も、自らの父親が勤める近所の町工場に就職が決まっているらしかった。不景気だ何だと騒がれている昨今、「親父の口利きでみっともねえけど」などと照れ笑いをしながら、でも雇ってもらえただけで有難いと思ってがんばるよと言った。
 すると今度は帝斗が、次は僕の番だというように自らの進路を語ってみせた。
「僕もいずれは父の後を継ぐことになるわけだから、とりあえずは白帝の大学部へ進むことにしたよ。倫周はまだあと二年あるから高等部に残るけど、彼も将来は僕の秘書として務めてもらう心づもりだから、僕ら兄弟は学業の傍ら、父の下で修業さ」
 倫周の頭をポンポンと撫でながらそう言った帝斗に、皆は「さすが大財閥!」などと言っては盛り上がった。
 こうなると残りは氷川一人だけだ。遼二や紫月らは一様に『お前はどうするんだ?』といったように彼を見やった。
 案外寡黙なタイプのイメージが強い氷川は、剛や京のように軽いノリを持ち合わせているわけでもなければ、自ら進んで話の輪に入ろうというふうでもない。かといって、皆の話に興味が無いとか退屈だといったふうでもない。何とも掴みどころのない男はフイと薄い笑みと共に意外なことを口走ってみせた。
「俺も似たようなもんだ。親父を手伝うってわけじゃないが……香港に帰るよ」
 その台詞に、剛と京がすっとんきょうな声を上げた。
「はあッ!? 香港!?」
「俺はもともとあっちなんだ。親父が中国人なんでね」
「マジッ!? ……ってことはアンタも中国人ってわけ……?」
 何とも不思議そうにしながら、二人が左右から氷川の顔を覗き込むような調子で取り囲む。おまけに、「けど名前は日本人じゃん」などと言い合っているのに、氷川はまたもや苦笑いを誘われてしまった。
 どうにもこの剛と京は氷川のことが珍しくて仕方ないらしい。伝説めいたものまで持っている『桃稜の白虎』の存在に、興味津々なのを隠せない。彼らが喜々とはしゃぎ合っている傍らで、遼二と紫月の方は相変わらず呆れ気味に肩をすくめてみせた。
「けど親父さんを手伝うってことは、あんたン家も金持ちなんだ? どっかの社長の息子? それとも粟津家と一緒で財閥かなんか?」
 剛と京は性懲りもなく、依然として興味のネタを引きずっているようだ。氷川はやれやれといった調子で、矢継ぎ早やの質問を受け入れた。
「財閥なんて大層なもんじゃねえな。実際、あんまり褒められた稼業じゃねえっていうのが正直なところだが……。けどまあ、妾腹の俺を実子同様に扱ってくれた家族には感謝してるから」
 そのひと言に、皆が一斉に彼の方へと視線をやった。少し驚いた感じの彼らを横目に、氷川はクスッと軽く笑むと、
「あー、俺ね、お袋はこっち(日本人)なんだ。川崎生まれでさ、その流れで桃稜に入ったんだが――。親父には香港に中国人の正妻がいて、その実子の――俺にとっての兄貴もいる。俺はハーフってことになるが、国籍は向こうなんだ。『氷川』はお袋の方の姓を使ってるだけで、ホントの名前(中国名)は『周焔白龍(ジュウ イェン パイロン)』っていうんだ」
「……周焔?」
「白龍……?」
「ああ。日本名の『白夜』ってのは、そこから適当に取ってつけたヤツでよ」
 少し照れ臭そうにそんなことを言っては、また微笑む。
 何だか酷く意外な一面を垣間見てしまったようで、剛と京は無論のこと、遼二と紫月もすぐには返答の言葉にも詰まるような感じで押し黙ってしまった。
 桃稜の番格と言われ、いつも寡黙で硬派そうに見え、そのくせ粋がったところなど微塵も見せない風貌が癪に障るくらいの存在だった氷川に、そんな身の上話があっただなんて想像もつかない。というよりも想像などしたことがなかったというのが実のところだが、だからこそ一層意外な気がしてならなかったのだ。
 訊いてはならないことを訊いてしまったというよりも、あまり触れられたくないだろうことを無理に言わせてしまったようで居たたまれない。そんな雰囲気を打開するかのように、わざとおどけ気味で京が口を開いた言葉――。
「あー、けどその……白龍って名前、すっげカッコ良くね? なんかマフィアっぽいっつーかさ、映画とかに出てきそうじゃん?」
 一生懸命盛り立てようというのがひしひしと伝わって、皆もそれに乗っかるようにコクコクとうなづく。
 だが現実とは厄介な代物で、意図しないところで裏目に出てしまうというのはよくあることだ。たった今の京のひと言がまさにそれで、場を和ませる為に出した例えがズバリその境遇を言い当ててしまったのだった。



◇    ◇    ◇



 氷川は、香港に拠点を置くチャイニーズマフィアの頭領である父と、その愛人である日本人女性の母との間に生まれた妾腹の子供だった。彼の父親には正妻との間に既に男の子があったが、兄弟は二人きりだったこともあり、分け隔てることのなく実子同様にして育てられた。その為、腹違いではあったが、正妻の子である兄とも本当の兄弟のように仲の良く過ごしてきた。
 兄は『周風(ジュウ ファン)』という名で、字あざなは『黒龍(ヘイロン)』、弟である氷川には『周焔(ジュウ イェン)』と名付けられ、『白龍(パイロン)』という字(あざな)が与えられた。風が炎を煽って勢いを増すように互いに助け合い、龍の如く強さでファミリーを盛り立てていって欲しいとの思いから、そう名付けられたそうだ。
 そんなふうにして、当たり前のように中国籍で実子として育てられたのだが、彼が思春期に入った頃に、父親から日本の学校に留学してみないかと提案されたという。半分は異国の血を引く彼を気遣ってか、学生時代の数年間を母親の故郷でもある日本の地で過ごさせてやりたいという父の厚情だった。
 その父が公私共に懇意にしていた粟津財閥当主を紹介されたのもこの時だ。いわば帝斗の父親にあたる人物だった。
 見ず知らずの異郷の地で心細いことも多かろうとの配慮から、現地での頼り先までを手配してくれたり、ありとあらゆる気遣いをしてくれる。そんな父に対して氷川は常に厚い感謝の念を抱いていたわけなので、高校卒業を機にその下へと帰ることを決めていた。
 そんな彼の事情を知っているのは帝斗のみだ。まあ、その義弟となった倫周も粗方は聞かされていたようだが、学園も違う上に深い付き合いもない四天学園組の遼二や紫月らにしてみれば、初めて聞くその境遇に驚いたのは言うまでもなかった。
 氷川は格別何も言葉にはしなかったが、それがかえって「マフィアみたいだ」と言った京の例えを肯定してしまったようで、場の雰囲気が言いようのない奇妙な緊張感に包まれる。瞳をキョロキョロとさせながら、『俺、何か悪いことを言っちまったかな』などと戸惑っている様子を気遣うように、氷川はまたもや苦笑いを漏らすと、
「ま、実際は映画みてえにカッコいい世界じゃねえけどな?」
 少しバツの悪そうにしながらそう言った。そして、その言葉により一層驚いたように固まっている一同を前に、更にもうひと言を付け足した。
「組織の名前、『xuanwu(シェンウー)』っていうんだ。お前ら、旅行とかで香港に来ることがあったら言ってくれよ。案内くらい出来っから」
 別段、こんなところで本当のことを打ち明けなくてもよかったかも知れない。近々日本を離れ、香港に帰ってしまう自分にとって、今ここにいるメンツと今後どこかで会うこと自体が稀だろう。実際、家同士の付き合いがある帝斗を除いては、皆無といっても過言でないくらいだ。在学中とて格別親しくしていたというわけでもない、ただ隣校で番を張り合ったというだけの連中を相手に、何故そんなことを暴露する必要があるのか――氷川はおそらく自分でも理解できなかっただろう。

――確かな理由などなかった。ただ、心の深いところで、彼らと袖触れ合った縁を忘れたくないという哀惜が、どうしようもなく胸を締め付けるような気分にさせられて、自然と口にしてしまった言葉だった。



◇    ◇    ◇



 花曇りの雲間から、かすかな陽光がこぼれ出す。
 川面を渡る風は真冬よりは随分暖かくて、けれどもまだ少し冷たくもあるようで、そよそよと頬を撫で、髪を揺らす。

 しばし場が静まり返り、誰もが何を話していいかという表情で戸惑い気味だった。
 持ち前のノリの良さも発揮できずに、ただただ驚き立ち尽くすだけの剛や京を横目に、
「なるほどな、それじゃどーやったってお前にゃ適うはずはなかったってな?」
 フイと、そんなことを口走ったのは遼二だった。
「俺、前にコイツとやり合ったことあんだけどさ。まったく歯が立たなかったってーか……ボロくそにのめされて終わったのよ。その上、こいつったら俺の為に病院まで手配してよこしやがるからさ! あん時は随分気障なことしやがるって悔しがったもんだぜ。場所はほら、ちょうどあそこに見える煉瓦色の建物だったな。今となっちゃ懐かしい思い出だけどね」
 遠目に立ち並ぶ倉庫街を指差しながら、瞳を細めてみせた。
 氷川がマフィアの組織で育ったというのならば、番格ともてはやされるのも当然だろう。どことなく他人を寄せ付けないような威圧感を伴った雰囲気も、喧嘩が強いのにも、すべてに納得がいく。
 皆に向かって、照れ笑いをする遼二に、当の氷川は謙遜するなというようにフッと笑ってみせた。
「そういうお前だって強かったじゃねえか。てめえの命掛けてまで、守りてえもんを持ってるお前はすげえカッコよかったぜ?」
「はあッ!? 何言ってんの、おまッ……」
 予想もしていなかったような言葉で称賛されて、遼二はアタフタとしながらも照れ臭そうに頭を掻いた。そんな彼の腕を取ると、氷川はまるで彼だけにしか聞こえないような小声で、もっと驚くようなことを囁いてみせた。
「マジでカッコよかったぜ、あん時のお前。そんな大切なモンを持ってるお前も……それから、お前にそんなふうに想われてる一之宮(紫月)も。お前ら二人すげえ似合いで……何つーか、絵になってた」
 遼二にしてみれば意外どころではなかった。左程親しくもないはずの氷川からそんなことを言われて、うれしいようなむず痒いような不思議な気分だ。正直どう返答をしていいかも分からない。
 ふと、つい先程、剛と京に冷やかされたばかりの言葉が脳裏に浮かんだ。

――勝負が終わった途端、今までいがみ合ってたのが嘘みてえに和解しちまうって話じゃん!――

 まるでその例えの通りに互いを認め合い、心の内では尊重し合っているみたいで、何ともこそばゆい。と同時に、こんな関係が多少なりともうれしく思えるのも確かで、遼二はますます決まりの悪いといったふうに視線を泳がせてしまった。
 そんな思いを知ってか知らずか、氷川は更に小声になりながら、
「けど、アレだな。卒業もしたことだし、一之宮とお前、晴れて堂々お付き合いできるんじゃね? もう隠れてコソコソ、ラブホに行く必要もねえしな?」
 ニヤニヤとそんなことを耳打ちされて、カッと染まる頬の熱をごまかすだけで精一杯だ。
「バッ……ッ! てめ、何言って……!」
「冗談だよ、冗談! つーか、てめえら卒業したら一緒に住むんじゃねえの? 俺りゃ~、てっきりそう思ってたけど」
「……! ちょっ……! おまっ、声でけえっての……!」
 まったく油断も隙もあったものじゃない。この氷川には、ひょんなことから自分と紫月が男同士でありながら魅かれ合い、付き合っているのを知られてしまったのだが、まさかこんなところで冷やかされるだなどとは思ってもいなかったので、遼二はひどく焦ってしまった。しかも何とも親しげなやり取りが違和感のかけらもなく、これではすっかり心を許し合った友人そのものだ。
 いや待て、いくら卒業したといっても、コイツはつい先日まで因縁関係だった隣校の番格なんだぜ?
 そう思う傍ら、だが、どういうわけかやはり嫌な気はしない。それどころか卒業を機に香港へ帰ってしまうというこの男に対して、まるで長年ツルんだ親友と離れる寂しさのようなものまでがこみ上げる気がして、何とも不思議な心持ちにさせられる。
 しばし感慨にふけっていたその時だ。
「ねえ、白夜君に遼二君! そんなとこで二人っきりで何の内緒話してんのー? それよりこっちに来て一緒に写真撮ろうよー!」
 突如背後から倫周にそう叫ばれて、遼二はハッと我に返った。傍らの氷川は相変わらずに威風堂々、落ち着いた感じで、二人は同時に倫周の方を振り返った。
 見れば、紫月を挟むようにして剛と京がはしゃぎながらポーズを取っている。それを撮影しながら、カメラ片手に帝斗も楽しげだ。そんな彼らの手前で倫周が自分たちを呼んでいる。
「ねえ早くー! 早くおいでよー」
 まるで身体全体で手招きするかのような彼独特の懐っこさが可笑しくて、氷川はクスッと微笑むと、「写真だってよ。ま、いい記念になるか?」そう言って歩き出した。

 卒業証書を片手にはしゃぎ合う面々、互いに突っつき合ったりじゃれ合ったりしながら、春風に乗って楽しげな笑い声が川面を揺らす。

 すぐ目の前には番を張り合った思い出のある男の背中が映り込み――遼二は前を行くその背を引きとめるように、思わず声を掛けた。
「なあ氷川……っ」
「ん――? 何だ」
「あ……のさ、もし日本に帰ってくることがあったら……声、掛けろよな」
「――え?」
「えっと、だから……夏休みとかよ、何でもいいーから用事あってこっちに来る時は、声掛けてくれってこと! そん時は……一緒に飯くらい食おうぜって意味!」
 どうにも言いづらそうに視線をそらし、照れ臭そうにしながらそんなことを言う遼二に、氷川は少々驚いて、だがすぐにフイとその瞳をゆるめてはうなづいた。
「ああ、そうさしてもらうぜ。そん時はてめえのおごりな?」
「は――ッ!? なんでそーなんのよ! てめえの方が金持ちのくせしてよー!」
「はは、いいじゃねえか。そん代わり、お前らが香港に来た時は俺がおごるって!」
「え、マジッ!?」
「マジ! だから来いよ香港。一之宮と一緒にハネムーンがてら、とかな?」
「はぁッ!? てめッ、また……ンなこと言いやがって……! 待てこら、氷川ッ!」
 何だか知らないが、こんなたわいもない会話がひどく心地いい。急に親密になれたような気がして、くすぐったくもうれしくて心が躍るようだ。
 二人は悪戯そうにニヤッと笑い合うと、どちらからともなく腕を差し出して、互いの拳をぶつけ合った。まるで『約束だぜ』というように力強くタッチを交わし合い――


 雲間を縫って輝く春の陽光が川面を照らし、キラキラとまぶしかった。
 最高の仲間と共に分かち合う、今いるこの場所も、頬を撫でる春風も、すべてが本当に心地よかった。


 これが互いに触れ合うことのできる最後の縁となるなどと、この時の二人は思いもせずに――
 穏やかな春の陽がやわらかに彼らを包み、降り注いでいた。



Guys 9love

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