春朧

二十年前、厳冬―― 2



「紫月が帰って来ないって……それでお母さん、お心当たりはないのでしょうか?」
 知らせを聞いて驚いた帝斗が、倫周を伴って一之宮家の道場へとやって来ていた。
 紫月の母親の言うには、剛や京のところへも当たってみたのだが、どちらにも顔を出してはいないという。一昨日の夕刻、遼二の家を出てから行方知れずで、幾度も携帯に電話してみるも、不通で手の打ちようがない。警察に連絡することも考えたが、その前に帝斗のところに一報入れたということらしかった。
 彼の両親は酷くうろたえ、慌てていて、特に母親の方はいてもたってもいられないという感じで傷心しきっている。
「とにかく……心当たりを捜してみましょう。彼の行きそうな所とか、遼二君との思い出の場所とか、何でもいい。思い当たることがあったら教えてください」
 ちょうど剛も駆け付けて、一同はとりあえず紫月の最後の足取りである遼二の家を起点に、手分けして目撃情報などを当たることにした。
 遼二との思い出の場所という観点から、四天学園付近や通学路、放課後によく立ち寄った喫茶店や商店街などを中心に、手当たり次第の聞き込みを続ける。そうこうする内に、駅前繁華街の辺りで紫月らしき人物を見たという情報が飛び込んできた。別ルートで捜していた京からそう連絡を受けた帝斗らは、逸る気持ちを抑えながら彼のもとへと向かった。

 もうすっかりと陽も傾き、冬の早い夕暮れが商店街の賑わいと共にやって来る。繁華街の一角で待つ京と落ち合ったのは、辺りがすっかりと闇色に変わった頃だった。
 ここから通りを一本入れば、スナックやパブが密集している歓楽街だ。
「あんた方が捜してるっていう男? 多分、おととい俺たちが見掛けた兄ちゃんで間違いねえと思うよ。すっげえ色男のくせに何だかぼんやりしちゃってよー、薬でもやってんのかって思ったんでよく覚えてたんだ」
「そうそう。もっとシャンとしてりゃ、女にモテそうな男前だったよなー?」
「あの店の前でしゃがみ込んだっきり動かねえからさ、具合でも悪りィんじゃねえかって思ったんだけど……どうもそういった感じでもなさそうでよ。なら、あんなとこで何してんだろうって、ずっと噂してたんだよ」
 京が見せた紫月の写真に心当たりがあるという職人ふうの男たちが、口々にそんなことを言ってよこす。ちょうどその辺りで工事を行っていたという彼らが、貸店舗のシャッターの前でうずくまっている紫月らしき人物を見掛けたというのだ。だが、しばらくして気付いた時には、もう彼の姿はなかったという。当然のことながら、何処へ行ったかなど分かるはずもない。彼らに礼を述べた後、一同はその行方を追って再び聞き込みを続けることにした。

 この辺りは昔からの地形がそのままで、比較的狭い路地が入り組んでいる所だ。歓楽街ということもあって、薄暗い時間帯になればあまり治安がいいとはいえないことでも知られている。ここが地元の剛と京は別としても、一見にして良家育ちのボンボンに見える帝斗や倫周が一緒ということもあって、一同は散り散りに行動することを避けた。
「傍を離れんじゃねえぜ」
 客引きのボーイふうの男や、早くも酒で出来上がっているような絡み調子の男たちがチラホラとし始めた通りを歩きながら、京が帝斗らを振り返ってはそう声を掛けた。そして、なるべく人目を避けるように、建物の背面にあたる裏通りを急ぎ足で進んでいた、そんな時だった。ちょうど仮の駐車場か物置き場として使われているふうな空き地の一角から、数人の男たちの怒号のようなものが聞こえてきたのに、帝斗と倫周は驚いたように肩をすくめた。
 歩を停めて耳を澄ませば、砂利敷きの敷地を踏み荒らすような足音がザクザクと響き渡っているのが分かった。トタン板で造られた背の高い塀がぐるりと取り囲んでいるせいで、中の様子までは窺い知れない。だが幸いそのお陰で、向こうからもこちらの存在には気づかれていないようだ。まあ、ほぼ他人様の私有地に違わないような裏手の通りなど、そこに行き来しているでもなければ滅多に通ることもないのは、付近の者ならば誰もが承知のマニアックな路地だった。
 そんな安心感も手伝ってか、どうやら遠慮なしの派手な暴行がなされているような気配で、時折、「ふざけたマネしてんじゃねえ!」などと、荒げた会話が飛び交う様子に、
「面倒事に巻き込まれんのはご免だな。早いトコ、こっから離れよう」
 剛は早急にその場を立ち去ろうと、帝斗らの肩を抱き包むようにしてそううながした。だがその直後によぎった聞き覚えのあるような声を耳にした瞬間に、一同はギョッとしたように足を停め、空き地の方向を振り返った。

「……亮治……に、会わしてくれよ……あいつと話が……してえん……だ……」

 弱々しく掠れてはいるものの、永年ツルんだ親友の声を聞き間違うはずもない。剛と京はそんな面持ちで、互いを見つめ合った。そして確信を得る為に塀に張り付き、身をひそめては、もう一声に聞き耳を立てる。
「っるせーッ! ナマほざくんじゃねえっ!」
 ガツンッ、という鈍い音は思い切り蹴りを食らったような痛々しさがにじみ出ていて、見ずとも暴行の様子が窺えるようだった。悠長にしている余裕などないというのは承知だが、万が一、人違いだった場合のことを考えると、慎重にならざるを得ない。固唾を飲む彼らの耳に、また一声、苦痛を抑えながら弱々しい言葉が空を舞って届いた。
「……頼むから、亮治に……会わして……」
 間違いない。紫月の声だ。
 それを聞き分けた途端に、いてもたってもいられないといったふうに、倫周が狂気の声を上げた。
「紫月君ッ!? あの声、紫月君だよねッ!?」
 それより何より『りょうじに会わせてくれ』とはどういうことなのだろうか。聞いただけではそれが『遼二』のことなのか、はたまた全くの別人を指す『りょうじ』という誰かのことなのか、見当など付くはずもない。暴行されているのが紫月だとするのならば、ついぞ遼二が亡くなったことも理解できなくなってしまったのだろうかと、酷く心がざわめき立ってならない。まさに、なり振り構わずそちらへと走り出そうとした倫周の肩を、剛と京が慌てて引きとめた。
「バカッ! むやみに突っ込むんじゃねえ……って!」
「でもッ……!」
 早くしないと紫月君が大変な目に遭ってるんだから、と焦燥感をあらわにする倫周を抑えながら、剛は言った。
「いいから! ここは俺と京で行く。お前らはこのまま表通りへ引き返して警察に通報しろ。さっきの工事のおっさん達の居た辺りまで戻れば人通りも多いし、誰かに交番の場所訊けばすぐ分かるから」
「けど……ッ」
「黙って言う通りにしろ! このままお前らまで盾に取られたりしたら、分が悪りィのは見え見えなんだ」
 剛と京の二人に同時にそう言われて、倫周は逸る気持ちを抑えるように、グッと唇を噛み締めながらも、コクリと素直に頷いた。
 だが、時は既に遅しといったところだった。
 騒ぎ声を聞きつけて、男たちの内の一人がトタン板で囲まれた塀の入り口から様子を見に顔を出したのだ。
「何だ、てめえら――!」
 バッチリと視線が合い、そうどやされて、倫周は肝っ玉の縮まったようにビクリと肩をすくめた。
 見たところ、一目で堅気ではないと分かる風貌の男は、この界隈を取り仕切る何処ぞのヤクザ者だろうか。
 高校時代には、遼二や紫月を筆頭に、不良グループなどと言われて番格扱いをされてきた経緯のあれども、隣校の高校生同士でイキがり合うのとはワケが違う。剛と京はそんな思いで強張った互いの表情を見つめ合っていた。本物のヤクザを相手に喧嘩を売った買ったなど、当然あるはずもなかった。
 だがもう、こうなれば仕方がない。攻撃は最大の防御の名のもとに肝を据えるしかなさそうだ。
「……チッ、ツいてねえな」
 とにかく、帝斗と倫周だけには手を出されるわけにはいかない。先ずは自分たちが先陣を切って場を撹乱し、隙を見て紫月を連れてこの場から逃げられれば御の字だ。剛と京は覚悟を決めたような苦笑いを漏らすと、平静を装い、男の方を目掛けて歩を進めた。
 狭い入口から空き地の中を窺えば、そこには三人くらいの男が地べたに這いつくばった一人を取り囲んでいる。暴行を受けているのは確かに紫月で間違いなかった。
 様子を見に出てきたこの男を合わせれば、相手は四人――勝ち目は薄い。まあ数だけならば帝斗と倫周を足せば四対四の同数だ。紫月がマトモな状態ならば五分五分といったところだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながらも、場の雰囲気に圧倒されて気もそぞろ気味の剛の脇腹に、いきなり蹴りが飛んできた。
「……ッぐはっ……」
 吹っ飛ばされるように砂利の上に転がされた剛を庇うように、京が慌ててその側へと屈み込む。男たちはしばし紫月を放って二人を取り囲んだ。
「なんだー、てめえらは? どっから湧いて出やがった! 興味本位でウロチョロしてやがると怪我すんぜ!」
 だがまあ、現場を見られた以上、このままタダで帰すわけもなかろうといった薄ら笑いを浮かべながら、今度は京の髪の毛をグシャリと鷲掴みしては脅しをかました。
「ちょっ……待ってください……! 俺ら、そいつのダチなんだ……」
 慌ててそう叫んだ京の言葉に、男たちはニヤけまじりで眉を吊り上げた。
「ダチだー?」
「……ッ、そう……ッス! そいつが何したのか知らねえけど……暴力はよしてくださいよ」
 必死に下手に出ながらそう懇願する京の傍らで、剛も脇腹を押えながらようやくと視線を上げて男たちを見やった。
 ナリだけは長身揃いでガタイもそこそこな二人だが、ヤクザふうの男たちに取り囲まれて、その実は心臓がバクついているのは隠せない。無意識にブルリと肩を竦めながらも、必死で頭を下げんという彼らの心中を面白がるように、男たちはますますニヤけた口元を歪ませた。
「へっ、ダチだってよー。こいつぁ、面白れえこと抜かすじゃねえか。で、わざわざご丁寧にお迎えにでも来たってか?」
 男らの内の一人が片腹痛いとばかりに呆れ半分にそう言えば、
「だってよー? どうする兄ちゃん? てめえがいつまで意地張ってやがると、おトモダチまで痛え目に遭ってもらうことンなるぜ?」
 もう一人が砂利の上で苦しそうに横たわっている紫月の顎を乱暴に持ち上げながら、そう言っては高笑いした。

「お……前ら、……な……んで……」

 剛と京の二人に気付いた紫月が、ようやくの思いで顔を上げ、苦しげにそれだけを口にした。

 どうしてお前らがこんな所にいるんだ――

 おぼろげに霞む瞳を無理矢理こじ開けて、目の前の現実を見ようと踏ん張れども、どうにも身体がいうことをきかないらしい。散々に殴る蹴るの暴行を受けたこんな状態では思考も儘ならないのだろう。剛と京がどうしてここにいるかという以前に、紫月にとっては、自分とて何故こんな所で惨めったらしく転がされているのかもよく理解できていないというのが実のところのようだった。
「剛……、きょ……京……」
 懸命に呼び掛けようと口を開くも、鈍い痛みが全身にまとわりつき、まるで酷く重たい手枷足枷をくくり付けられているようで、身動きの取れない放心状態に近い。
「紫月……ッ!」
 うずくまったままがやっとの紫月の様子に逸るように、剛と京が大声でその名を呼び掛け、あわよくば側に駆け寄ろうと片膝を立てたその時だった。
「おーっと! 勝手に動くんじゃねえよ」
 男たちにむんずと髪を掴まれて、二人はその場に拘束されてしまった。
「せっかくだから、おトモダチからもその兄ちゃんに言って聞かしてくれると有難てえなあ?」
 ニヤニヤとしながらもドスのきいた声色で、男が剛らを見降ろした。
「そいつはなー、とんでもねえ不始末をしでかしてくれてよ。客を殴って一騒動起こしやがったのよ」
「……客……?」
「ああ、そうさ。初めててめえを買ってくれた有難てえお客様のタマに蹴りくれやがったのよ」
「な……!? ……タ、タマ……って」
「客の急所を思いっきり蹴飛ばしやがったんだ! とんでもねえクズ野郎だろうが!」
 男は剛を後ろから羽交い締めにしながら、顎をギュッと掴み込んで、少しでも歯向かおうものならその顎を砕くぞとばかりの勢いで事の成り行きを口にした。
「こいつはな、行く宛てもなく街ン中で野垂れ死にそうになってたとこを、俺らの兄貴に拾ってもらったのよ。飯も食わしてもらって、挙句二晩も暖ったけー寝床まで用意してもらってよ? その代償にちっとばかし働けって言やぁ、とんだ悪態つきやがる。あんたらのおトモダチってのはしょーもねえクズ野郎でね、こっちも困ってんだよ」
 なるほど。それで納得がいった。紫月が二晩も帰って来なかったのはそういうわけだったのか――
 一昨日の夜、さっきの工事現場の親父さんたちが見掛けた場所でこの男たちに拾われて、厄介になっていたということだろうか。おそらく紫月は遼二の家を出た後、呆然としながらこの辺りをフラついていたのだろう。隙だらけの様子に目を付けられて拾われて、甘い言葉で餌付けでもされたわけか、見なくてもそんな様子が脳裏に浮かぶ。
 この男たちの話し向きから想像するに、その代償として彼らの息の掛かったこの界隈の店で仕事を無理強いされたという経緯で間違いはなさそうだ。
 だが、紫月が女ならばまだしも、男の彼にどんなことをさせようとしたというのだろう。店だの客だのという言葉じりから察するに、ボーイかホスト、あるいはウェイター。
 そこまで考えたところで、ふと或る思いがよぎって、剛はハッと瞳を見開いた。
(まさか、身売りとか――?)
 その思いを裏付けるかのように、自らを拘束していた男がニヤニヤとしながら先を続けた。
「年頃から見ても初物で高値が付きそうな上玉だ。傷モンにしちまったら値が下がるといけねえって、亮治の兄貴も手出ししねえで食指舐めてたってのによー」
 いやらしさのまじった笑みを憎々しく歪ませながらそう言う男の口元には、不揃いにぼちぼちと生えた髭が妙に視界を揺さぶり、言いようのない恐怖と不快を色濃くしていく。しかもまたぞろ耳にする『りょうじ』というのはいったい誰のことなのだ。

(くそ、どうにもワケが分かんねえ。遼二のことをいってるんじゃねえのか?)

 困惑気味の剛らをよそに、男たちの方は仲間同士で談笑をし始めた。
「あの好きモンの兄貴が据え飯に手ェ付けなかったって代物だ。まあ確かにそれなりの面構えはしてるみてえだけどな?」
 紫月の背中を靴底で転がしながら、品のない笑い声を上げて、そう相槌を返した。
「だからって調子コキ過ぎなんだよ! 如何にド素人の新人だろうが、客のタマ蹴り飛ばすなんざ、太えにも程があるってんだ」
「まあ、こんなことなら亮治の兄貴も我慢しねえで、逆にどっぷり仕込んでから店に出しゃ良かったですよねぇ?」
「はは、違えねえな」
 がははは、と豪快に男たちは笑い、そこまで聞いて剛と京にもようやくと事の全容が掴めたといったところだった。どうやら『りょうじ』というのは彼らの仲間で、いわゆる『遼二』のことを言っているのではなさそうだ。仕込んでから店に出せば――というくだりからしても、身売り系の商売と見て当たりだろう。紫月はそんなところで売り飛ばされようとしていたわけか。そして当然の如く反抗した結果、店の外に引きずり出されて殴られて、今現在こんなことになっているのだ。
 だが如何に経緯が掴めたところで、共に羽交い締めにされているこんな状態ではどうすることもできない。反撃どころか、目の前でノビている紫月を担いでこの場から逃げ切ろうなどというのは曲芸に等しい。
 剛も京も煮え湯を飲まされる寸前のような心持ちで、八方塞がりに絶望を感じていた、そんな時だ。後方から見知った悲鳴と共に、もう一人の男が浮かれ口調で近付いてくる気配に、驚いてそちらを見やった。
「おいおい、見ろよ! こいつらもおトモダチらしいぜ!」
 嫌な予感に瞳を見開けば、そこには襟首を掴まれた帝斗と倫周が毛むくじゃらの腕に毒々しい腕時計をしつらえた男に引きずられて来るのが目に入って、剛は『何てこった!』といったように唇を噛み締めた。
 相反して男たちはますます盛り上がり、彼らの興味の視線が、今度は帝斗と倫周に注がれる。
「へえ、こいつぁ上物じゃねえの!」
「ふぅん、ホントだ。可愛いツラしてやがる。特にこっちの子、オンナ顔負けの絶品じゃねえか! これだったら十分、このクズ野郎の代わりに店に出せる代物だぜ」
「そいつぁー、いいや!」
 男たちは高笑いを繰り返しながら、帝斗の方を剛と京の上へ将棋倒しにするように放り投げると、「ヒィッ」と悲鳴を上げる倫周を紫月の前まで引きずり、突き出して見せた。
「どうする紫月ちゃんよー? てめえの代わりにこの可愛い子ちゃんに店に出てもらうか? それともナンだ。見たとこ、この子もド素人みてえだからー、教習がてらここでイイことしてやろっか?」
「そうだなー。いきなり店に出したところで、てめえみたく騒ぎ起こされちゃ堪んねえからな? 先ずは俺らでイロイロ仕込んでやらなくっちゃ、ってな?」
 男たちは二人掛かりで倫周を両脇から拘束しながら、その顎先を掴んで紫月の目の前へと押し倒した。
「やだッ……! やめてよっ! 放してってば!」
 抵抗して涙まじりになりながら暴れる倫周の反応に、少しづつ冗談が本気になってゆく。興奮した男たちの一人が、倫周のシャツに手を掛け、引き裂いた。
「嫌ーーーッ! い……ッ、やぁーーー!」
 狂気のような悲鳴と共に泣き叫ぶ様子に、堪らずに帝斗がその名を叫んだ。

「倫ーーーッ! やめろッ! 倫を放せっーーー!」

「うるせーッ、てめえらはおとなしくしてやがれッ!」
 もう一人の仲間にガツンと背中を殴打されて、帝斗はその場に崩れ落ちてしまった。剛も京も同様で、男たちに更なる袋叩きに遭い、三人は重なるように砂利の上に放り出されてしまった。
「……ッそ、畜生……ッ、大丈夫か……帝……斗……っ」
 幸か不幸か、それぞれに意識は若干残されているが故に、目の前で霞んで歪む光景に、より一層の苦渋を突き付けられるようだった。
 すぐ手の届きそうな位置で、男たちに下敷きにされて叫ぶ倫周の姿がおぼろげに映る。その少し後方では、視線だけでそれを追うのが精一杯のような紫月の顔が、やはり歪んで揺れている。
 どうにかしたくても術はない――悲惨な現状に、誰もが苦渋を噛み締めるだけしかできずにいた。



Guys 9love

INDEX    NEXT